黒猫座の成り立ちやこれまでの活動履歴、井上てつひこの独断コラムなど、あれこれが詰まっています。
お時間のある方はどうぞお立ち寄り下さい。

黒猫座の歴史

1991年1月

井上てつひこ&よし子タンゴを習い始める

1994年3月

タンゴサークルとして東京タンゴダンス倶楽部を設立(黒猫座の母体)

 

護国寺・東大前などで活動
各種イベントへの出演開始

1995年4月

六本木のタンゴバー・カンデラリアにレギュラー出演

アルゼンチン他南米各地のタンゴTV番組で紹介される

1996年10月

舞踊団「黒猫座」を結成

老人ホーム慰問等の活動も

1998年1月11日

「情熱のタンゴ」公演

文京シビックホール(現在の小ホール)

1999年1月15日

「情熱のタンゴⅡ」公演

文京シビックホール(現在の小ホール)

2000年4月

カルチャースクールレッスン開始

2000年6月30日~7月2日

「情熱のタンゴⅢ」公演

アトリエ鬼子母神にて

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2000年11月22日

ディナーショー開催

池袋リビエラ

2001年6月29日~7月1日

「情熱のタンゴⅣ」公演

アトリエ鬼子母神

2001年12月5日

ディナーショー開催

池袋リビエラ

2002年6月28日~6月30日

「情熱のタンゴⅤ」公演

アトリエ鬼子母神

2002年12月22日

発表会「薔薇のタンゴ」開催

アトリエ鬼子母神

2003年7月4日~7月6日

「情熱のタンゴⅥ」公演

アドリブ小劇場

2003年12月3日

ディナーショー開催

池袋リビエラ

2004年6月25日~6月27日

「情熱のタンゴⅦ」公演

アドリブ小劇場

2004年12月8日

ディナーショー開催

てつひこ入院

2005年12月1日

ミロンガ「ランチサロン」開催

神保町エスペリア

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2006年5月30日

井上てつひこ没

2006年9月23日

井上てつひこ追悼パーティ開催

目黒雅叙園

2007年6月2日

ミロンガ「ランチサロン2」開催

神保町エスペリア

2008年6月21日

ミロンガ「ランチサロン3」開催

神保町エスペリア

2009年1月31日

発表会「タンゴショーゲキジョー」開催

内幸町ホール

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2009年10月3日

ミロンガ「ランチサロン4」開催

神保町エスペリア

2010年6月19日

ミロンガ「ランチサロン5」開催

神保町エスペリア

2012年4月29日

発表会「黒猫座と素敵な仲間たち」

駒込地域活動センター

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アルゼンチンタンゴのやさしい説明
(井上てつひこによるタンゴについてのうんちくあれこれ。あくまでも個人の意見です。)

いつごろ生れたの?

アルゼンチン・タンゴ・ダンスは、100年以上前、当時はほとんど未開の地といってよかった、南米アルゼンチンで生れました。

偶然ですが、ちょうどその頃、当時の世界の中心とも言うべきイギリスで今日のソシアル・ダンスが作られました。

ですからタンゴ・ダンスとソシアル・ダンスは同じくらいの歴史を持っていますが、全く別々に生れたというわけです。

誰が作ったの?

タンゴ・ダンスは黒人奴隷や彼らと同じくらい貧しいイタリア移民が船着場の倉庫裏あたりで夜中に作り出したものです。一方、ソシアル・ダンスはイギリスの上流階級に出入りを許されていた一流のダンサーたちが、フランス人ダンサーと相談して作ったものと言われています。

その後どうなったの?

ソシアル・ダンスは誕生してすぐ順調に世界中に広がっていきました。特に外交官にとっては欠かせない教養となりました。

一方のタンゴ・ダンスはいかがわしいものとされて母国アルゼンチンでは禁止された時期もあったほどです。それでもその独特の魅力は捨てがたく1900年代の初めごろ、ヨーロッパで流行のきざしがあらわれ、ローマ法王が頭を悩ましたといいます。

タンゴ・ダンスがいかがわしいものと思われなくなり、真の価値が認められだしたのは、1980年頃からだと言えるかもしれません。

タンゴ・ダンスの魅力って何?

何よりもセクシーだということです。しかし、決して猥褻ではありません。この区別がなかなか難しくタンゴ・ダンスは長い間偏見と誤解の目で見られてきたと言ってよいでしょう。

あたし、すごくブスなんですけど、それでもタンゴを習うとセクシーになれますか?

たぶん、なれると思います。何故かって?人間は元来セクシーなものなのです。それなのに、あれこれとつまらないことに気をつかって、自分で自分のセクシーさを無視し、あるいはねじまげ抑えこみ、錠をかけているのです。

タンゴがその錠を解き、あなたに魂の自由をもたらしてくれるでしょう。そして、あなたという地球上でたった一輪の、人類の歴史で初めてのすてきな花が開くのです。

タンゴを踊る時、ルールやマナーはあるのですか?

あるといえばある、ないといえばない、が答えです。

まず、あるという考え方。タンゴはセックスと違い、大勢の人達の中で踊ります。だから、その混みぐあいや、会の主旨など(フォーマルドレスか、ラフスタイルか)によって人に不快感を与えない、人に迷惑をかけないという「常識」は必要です。自分だけでなく、みんなで楽しむための細かな気くばりを持ちたいもの。

次に、ないという考え方。タンゴはセックスと似て、二人が了解しているなら形にこだわる必要はありません。何でもあり、がタンゴの魅力であり本質です。もともとタンゴは無法者や無頼漢やそれに近い人たちが作ったものです。その奔放さがタンゴの魅力です。そのように踊れる場所では、大いにがんばって人格変換するのも人生の楽しみ方でしょう。

”タンゴの神秘性”

この世に生を受けた人間は、ひとりひとり「星」(運命)を持っているように私は思いますが、これは人間にかぎらず、機械や道具や会社や芸術作品にもいえるのではないでしょうか。

ところで、タンゴですが、100年前に生れおちたごく最初の頃は別として、その後ずっと欧米ではとても神秘的なものとして見られて来たと思います。

それ故、欧米ではタンゴの中に哲学の臭いを感じ取る人たちもいたり、またタンゴの美学にそったファッション、さらには生き方までとり入れる人も、昔から今まで現れます。私もどちらかといえばその部類で、タンゴは他のラテンアメリカ音楽のリズムとは違った、何かしら形而上的なものを感じてなりません。しかし、多くの形而上思想が文字で表現されているのに、タンゴは音符で表現されておりますので、思考の展開や発展がむずかしく、それゆえにまた神秘性をましてくるのです。

で、もしもタンゴにそのような神秘性があるとするなら、踊りもまた神秘性を秘めていてよいのではないかと私は思うのです。

さて、ここらで先程から使っている「神秘」という言葉に少し立ち入ってみようと思います。タンゴの神秘性(それがあるとしての話ですが)は、たとえば黒魔術教団の秘密儀式などとはあきらかに違います。誰でも、わずかのお金を払えば(ハンバーグ数個分のお金で)、いつでも接することができます。東京のどこかで毎日開かれているタンゴ・パーティーを見物したり参加すればよいのです。

では、タンゴの神秘性とは何なのでしょう?

やはり、タンゴという音楽が持っている形而上的な臭い。文字ではなく、音符で表現された形而上的世界。あたかも、キリコやダリやマグリッドの絵画が、色彩で形而上的世界を表現しようとしたような、そういうところにタンゴの神秘性があるのだと私は思います。

そこでくり返しになりますが、タンゴの踊りもまた神秘性を秘めているべきではないだろうかと私は思うのです。

実は、この文章を書いたのは、今のサロン風タンゴ・ダンスに対してちょっと文句を言いたかったからです。昨今、東京で踊られているタンゴはもそもそとした、精気のない、線の細い、小市民的な感じがしてなりません。「神秘」というからには、精気を秘めた神秘的人格(ジキル博士風であれ、ハイド氏風であれ)を大なり小なり感じさせるべきでしょう。

かつて、ゴルフの大衆化がゴルフにとってプラスにばかりならなかったように、今日のタンゴ・ダンスのいちじるしい普及に対して、これを客観視する視点も、真のタンゴ・ダンス愛好家にとって望ましいように思われてなりません。

以上、コラムでした。

”プラシド・ドミンゴとタンゴ”

「タンゴは3分間のオペラである。タンゴを見ればオペラを見に行く必要はない」と言ったのは、プラシド・ドミンゴである。

世界三大テノールの一人と言われるこのオペラ歌手が、どこかの外国のテレビ・インタヴューで語っているのをふと見た時、私はそれまでタンゴについて持っていたある種のもどかしさから解放された。それまで私は、タンゴについて人に語るとき、どうしてもうまく言いきれない部分をかかえて、不幸を味わっていた。

タンゴは、例えばキューバ音楽、ブラジル音楽などといった、ラテンアメリカ音楽の魅力とは明らかに、異質の、別のジャンルの魅力を持っている。

いったいどこが違うのだろうか?

ラテンアメリカ音楽は旧大陸(ヨーロッパ、中近東、インド、中国)の音楽に比べて演奏時間(表現時間)がとても短い(その点はタンゴも同様だが)。表現時間が短いという点で、日本の俳句や和歌に似ている。つまり、ラテンアメリカ音楽や俳句・和歌は一点を描写するが、描かれたものが、時間的経過の中でどう変化してゆくかは表現しない。そういう意味で絵画や写真に似ているといえそうに思う。

しかし、タンゴはあれほど短い演奏時間でありながら、物事の時間的経過を表現している。ここが驚くべき点なのだ。一句の俳句や一首の和歌が、例えばある人物の一生までも表現するだろうか。これは小説の分野になる。このことはタンゴと、例えばマリアッチの詞を比べれば明瞭である。「ラ・クンパルシータ」の詞は、一人の男の青春時代から、母の死、そしてその男自身の死までを詠っている。マリアッチの詞は、例えば「窓を開けて下さい。お嬢さん、私はあなたに恋こがれて死にそうです」という類だ。このことをプラシド・ドミンゴは前記のように言ったに違いない。

さて。となると、タンゴの踊りも登場人物が2人のオペラということになる。バレーというよりオペラだというとらえ方を私はしたいのだ。なぜなら、バレーにおける文学性はせいぜい童話程度の話の展開にすぎないが、オペラは「人間とは、人生とはなにか」というテーマに迫る場合がある。

タンゴもそうなのだ。「人間とは何か、人生とは何か」と問いかつ訴えるのがタンゴなのだ。たった3分間程度の時間の中で。

”アルゼンチン・タンゴのポーズ”

アルゼンチン・タンゴの一つの特徴は踊りの中に人目をひきつけるポーズがちょくちょく出てくることでしょう。観客席からこれを見ていると「タンゴは物凄いな」と思う反面、自分とはかけはなれた世界だという印象も、ちらりと心の中に生じるかもしれません。

実を言いますとこういったポーズは、ただ形を作るだけならそれほど難しいものではないのです。タネを知れば成程、と思う手品のようなもので、2分か3分お教えすれば誰にでもできます。

そのポーズについて少し説明しましょう。

初期ポーズ

ポーズはアルゼンチン・タンゴが生まれてすぐに行われるようになりました。もっともそのころのポーズは写真(1)~(3)までのように簡単なものでした。(写真の衣装に目を奪われないでください。実際(1)~(3)は誰でも出来ることです。

ところで、何のためにポーズをとったかと言うと、このころは男が女性のお尻にさわったり、大腿をしめつけたり、スカートのすそを持ち上げたりするためでした。男がほどほど満足するとまた踊りを再開する、というわけです。

はっきり言ってこのころのタンゴは陽気であったが粗暴でしかもみだらだったと言えるでしょう。

  • a

    写真(1)

  • a

    写真(2)

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    写真(3)

ポーズの変化
踊りの中における女性の自己主張

写真(4)

時が流れ、タンゴは陽気なだけでなく人生の悲しみを表現するようになり、粗暴さにもユーモアが加わり、みだらさには粋なセンスが加味されるようになりました。踊りの中における女性の自己主張もどんどん大きくなってゆきました(写真(4))。

ポーズをとって軽蔑されるよりは拍手をもらうほうが心地よいでしょう。

ポーズの芸術化
死を迎える女性

写真(6)

男の誘惑に敗れた女性

写真(5)

こういう流れが始まると物事は加速するものです。タンゴのポーズは競うように芸術化への道を走り出しました。写真(5)をご覧ください。そして写真(6)を見てください。

写真(5)は、男の誘惑に敗れた女性をあらわしています。そして生命の歓喜の極みで女性は写真(6)のような死を迎えるのです。

これら2枚の写真は「タンゴとは何ですか?」という問いに対する答えでもあります。即ちタンゴとは生と死を表現する芸術なのです。

ポーズとあなた

で、最初に申しましたように、写真でごらんいただきましたようなポーズはあなた一人では無理ですが、横に異性がいれば2~3分で出来ます。残された問題は、そのポーズが意味するのものをあなたが表現しているかどうかです。

妙な恥じらいを捨ててごらんなさい。日常的な、定型化した恥じらいや精神的自縛からあなた自身を解放してごらんなさい。そうすればあなたのポーズは本物になるでしょう。そしてそれがタンゴへのスタートでもあるのです。